音楽ルーツの考察(12)高校編 その9

高1の2学期(後半)

満開の桜も散り始め・・・の頃に、秋が深まる話になって恐縮です。高1の2学期というのは、本当に色々なことがあったように思います。話が前後していくかも知れませんが、ご容赦下さい。

市高祭が終わり、再び学業に没頭しなければならない時期なのですが、その反面、学校行事の色々な事に首を突っ込んでいたように思います。例えば、この写真は、明らかに市高祭の反省会で、服装からも9月頃と予想されます。司会をしているのは当時の生徒会長で、写真の左側、席の後方で両腕をカバンに載せて偉そうに聞いているのが僕なのは間違いありません。当時、既に生徒会の活動にも参加していたようです。

その後、秋に生徒会選挙があって、選挙には出ませんでしたが、新執行部で書記を拝命し、色々な活動に参加していく事になります。校誌「葦芽(あしかび)」の生徒総会の記事を一番下に転載しますが、その年12月の生徒総会でも書記を担当していた事が確認できます。小さい字ですが議事録が読み取れます。自由な校風で有名な高校でしたが、ここまで生徒自治が発達していたとは、今更ながら驚きです。

ここでこれから語る「事件」における、女性の登場人物を整理します(笑)。まずは、前回(高校編8)の記事で登場したAさん、僕に好意を持ってくれているという他クラスの美人さんです。そして、前々回(高校編7)の記事で登場(お寺のセミナーの肝試しでご一緒)したクラスメートのCさん、それから、その二人と仲良しのクラスメートのBさんがキーパーソンになります。

僕とBさんを含む何名かのクラスメートは、朝登校するのが早く、始業前30分くらいには教室にいて勉強しているのが常でした。10月のある朝、Bさんにベランダに呼び出され、以下のようなお話をされました。

「CさんがMackyくんとお付き合いをしたいと言っている。Aさんの事は私達も知っているから、決めるのはMakcyくんだけど、もしOKだったらCさんに話してあげて。」(注:当時はMacky君というあだ名ではありません)

こういう場合、クラスメートであることと、話をしたことがある、というのが強みだと思いましたね。あまり迷うことなく、お付き合いする旨、Cさんに伝えました。お付き合いする、と言っても、基本的に登下校を一緒にするだけ、でした。一度だけのデートは、今は閉店してしまった「徳島そごう」。マフラーを編んでくれるとのことで、二人で毛糸を選び、1階のロッテリアでお茶をしました。選んだ毛糸の色は白、予想よりとても早く仕上がってきたのを覚えています。

そのデートの日は、壊れていたカメラが直っていたので、Cさんの写真も少しだけ撮影しました(今はもう残っていませんが)。同時期に撮影した風景を2つほど載せておきます。場所は、徳島城趾の周りにある徳島公園で、この辺りを通って下宿から駅へ移動していました。デートの帰りもこんな風景を見ながら帰った記憶がありますし、ひょっとしたら、本当にその帰りに撮影した写真かも知れません。

2学期の間は、Cさんと一緒に登下校をすることだけで、うれしかったのを覚えています。そのうち、全校に知れ渡ることになり、Aさんが冗談っぽくCさんとBさんを責めているような光景にも出くわしましたが、仕方ないなとスルーしていました。Cさんは朝が遅く、しばしば待ち合わせ場所で立ち往生していましたが、その時間も含め、大切な時間だったと思います。

女子の家庭科の授業でケーキを焼くので食べて欲しいと言われ、楽しみに待っていたら、置いていたケーキに誰かが座ってしまい、食べられなかったこととか、クリスマス・プレゼントとして、電子オルゴールを組み込んだ木箱を作って、フタの裏側に「Merry Christmas」と彫るつもりで「Marry Christmas」と彫ってしまったこと、など、何かうまくかみ合っていなかったのかも知れませんが、良い思い出です。ちなみに、Cさんはクラスでも英語はトップだったので、スペルミスは、今思い出しても赤面しそうです。

寒さが厳しくなっても、心は温かく、高1の2学期は過ぎていきました。生徒会活動もあったと思うのですが、成績もクラスの真ん中辺りで安定していました。ただ、この頃から、ずっと自慢だった視力が悪くなり始めます。冬休みは里帰りをして、平和に過ごしていたつもりでしたが、今になって思えば、休み中にデートの約束とか、していれば良かったのかも、と思わないではありません。

そうして昭和58年(1983年)が過ぎていきました。今日も読んで下さって、ありがとうございました。

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