下宿生活
小学校~中学校編その1にて、中学受験に触れ「超虚弱体質だった自分には2時間近くかけて汽車(※)通学とか下宿するとかいう選択肢は皆無」だったと書きましたが、3年間で僕も強くなったのだと思います。さすがに汽車通学は難しかったので、賄い付きの下宿生活となりました。
(※原文は「電車」と書きましたが、徳島は未だに電化されていませんので正確には「汽車(ディーゼル機関車)」です)
大家さん宅の2階に住まわせてもらい、朝夕の食事とお弁当を作ってもらえる事になりました。当時の同居人は、大家さんのご家族5名と隣の大学生が1名、1階に単身赴任の会社員が1名、さらに併設されたアパートに住んでいた大学生が4名という大所帯でした。大家さんの息子さんや娘さん(当時小学生)、お父様、会社員の方や大学生のお兄さん達とも交流の機会があり、それはそれで楽しかった思い出がたくさんあります(そのうち、ご紹介する機会もあるでしょうか)。

お部屋は6畳一間でこのような感じです。自分が写っている下の写真は、背後に「余弦定理」が張ってあるので、多分高1の秋頃だと思います(理数科は授業が進むのだけは速かったのです)。当時から、平日1日5時間、土日は8時間の家庭学習をするよう指導されていた記憶があり、1年生の頃は相当頑張って寝不足でした(それでこの写真も人相が悪いのか?)。思い返すとまったく馬鹿げた事だったと思います(笑)。

入学前の春休みに実力テストがあり、自信過剰なのか気が抜けていたのか、今ひとつ勉強していなかった僕は、クラスでブービー賞を取ってしまい、最初から担任に目を付けられてしまいました。後から知った事ですが、クラスの大半は、既に中学校で高校1年生まで勉強し終えていたようです。ど田舎のお山の大将の認識はかなり甘かったと言わざるを得ません。
それでも、入学前からの初志貫徹で、4月早々にフォークギターを購入しに行くのですから、昔から強心臓でしたね。大都市(笑)のギターショップに行くのは初めてなので、さすがに一人では行けませんでしたが・・・。この話は長くなるので、次回に譲りたいと思います。
高校編のプロローグを引っ張ってしまいましたが、読んで下さってありがとうございました。
お医者さんになったんだから当たり前と言えばそうだけど、ほんまにものすごい勉強しはったんやね、
それだけでわたしは尊敬する!今度会ったら何かあやかりたい!
もうあかんか。。。(笑)
ちゃみちゃん、連日のコメントありがとうございます。1年生の時は真面目にやってたのに、これがだんだん不真面目になって・・・まあ、このブログを続けてたらバレるか(笑)。