音楽ルーツの考察(6)高校編 その3

高校生活の始まり

下宿から高校までは距離にして約3km、ほぼ東へ一直線の道路でした。毎日自転車で通っていました。高校編その1で書いた通り、沖洲川を渡って海へ向かっていく道なので、時に海風が強くて難儀することがありました。通学路上には、徳島市民病院、各種飲食店(蕎麦屋、お好焼屋、モスバーガー他)、スーパー、ボウリング場などがあり、田舎者には何とも心が躍る道程でした。

入学式はあまり記憶にないのですが、入学生代表で宣誓をした入試成績トップの生徒(当然同クラス)に対して、いつか勝ってやる、という無謀な思いを抱いていた事だけ覚えています(まもなく、実力テストのブービー賞が判明して己のほどを理解することになります)。その後、クラスに分かれて担任の先生からの話、そして自己紹介という定番の流れになりました。自己紹介の内容として趣味や音楽の話も多く、印象的なのは、クラスには僕を含めて3名のギタリストがいて、3名全員さだまさしのファンだという事でした。

この後、高校生活を通じて一緒に音楽活動や詩作をしていく事になる佐々木雅浩君は、僕と同様に地方から出てきてアパートに下宿しており、真面目さと静かさと秘めた情熱を兼ね備えた男でした(今もそうです)。佐々木君の愛器はMorrisのW-60、当時定価6万円でした。休みの日などは、ギターを持って吉野川河川敷へ行ったり、互いの部屋を含めて色々な場所で練習した記憶があります。写真は「溜まり場」となっていた校誌「葦芽(あしかび)」編集室、左側で彼がギターを弾いて、右側で僕が歌っています。花が写っているので、3年後の卒業式の時らしく、時間が矛盾しますがここに載せておきます。

もう一人のS野君は当時クラスの大部分を占めていた徳島大学教育学部附属中学校の卒業生で、背も高く、スポーツ万能で、喧嘩も強そうな男でした。下の写真ですが、ご本人とは連絡が取れていないため、目線を入れて掲載します(もしご本人がこの記事を目にすることがあれば是非ご連絡下さい)。さだまさしのアルバム「印象派」の曲はほとんどコピーしていて、「距離」「聖野菜祭」「検察側の証人」など、よどみなく弾いていました。当時、オリジナル曲も既に多数作っていて、とても刺激を受けたのを覚えています。S野君の愛器はYAMAHAのL-8で、当時既に相当に弾き込んでいた印象です。

余談ですが、2024年12月に出したセカンドアルバム「ひとあるき」には、佐々木雅浩君の高校時代の詩を元にして作った楽曲が3曲入っています。4. 旅立ち、6. 歴史~不都合な真実~、9. 一歩(ひとあるき)です。「歴史~不都合な真実~」は90%以上彼の言葉が残っていて、CD化された曲の中では最も「歴史」の古い曲となります。

2025年12月22日発売「ひとあるき」 購入はMacky Guitars (https://mackyguitars.thebase.in/) へ

今回、ギターを買いに行った話をしたかったのですが、あまりに長くなってしまったので、ここで一旦終了と致します。読んでいただいて、ありがとうございました。

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