音楽ルーツの考察(9)高校編 その6

高1の夏休み(前半)

市高生活のハイライトは、夏休みが明けてすぐに行われる市高祭だと思います。徳島県の高校では最も早く行われる秋の文化祭行事で、土曜日の前夜祭、日曜日の文化祭、月曜日の体育祭、と3日連続で行われる事も有名です。3年生は、市高祭が終わってからは受験に専念できるように、という配慮からだと聞いていました。

進学校の常で、夏休みに入っても補習は続き、里帰りしたのは8月のお盆前後だけだったと思います。当時、徳島の高校野球といえば池田高校で、1983年の夏、夏春連覇をした後に桑田・清原のKKコンビとベスト4で対決します(つまり、僕は彼らと同じ歳です)。当然ながら、補習にラジオ持ち込みでしたが、1回早々に大荒れの試合展開となり、全員上の空で補習を聞いていました。あの頃は、日本全国、池田高校の負けを誰も予想できなかったくらい強かったのです。先生もわかっていたと思うのですが、僕は途中で指名されて、イヤホンを外すのに失敗してクラスの失笑を買いました。漫画みたいな光景ですが、それくらい自由でした。

夏休みに入ったばかりの頃、前夜祭と文化祭の舞台で行われる「フォーク・ロック」のオーディションが開催されました。これが、愛機 YAMAHA L-7Sの第2陣で、僕と佐々木雅浩君は「メロディII」というデュオグループで出演します。この時、フォークを選んだのは、他クラスの1年生のソロが2名のみ、あとはロックバンドばかりでした。おそらくフォークとして1枠を争う事になる中で、我々は鉄板の「精霊流し」を歌い、出来は悪くはなかったと思うのですが、結果的に長渕剛(ライブ・バージョンの「巡恋歌」を完全コピーで披露したB君)に負けました。彼の愛器はYAMAHAのL-6だったか?と思いますが、別の安いギターにヘビーゲージ(一番太い弦)を張って、1日3時間は練習する、という強者でした。

ちなみに、我々のユニット名は佐々木君の提案だったのですが、坂元昭二師匠と福留順一さんのフォーク・デュオから拝借したのは明らかで、当時は、こんな田舎の無名の高校生が名前を拝借したところで将来には何の影響もない、と思っていたのですが・・・。その後、メンバーの1人にギターを習い、もう1人が経営する酒場(東京中野にある「ゆらゆら」)で歌ったりする事になるとは、本当に人生はわからないものですね。当時の写真がないので、この2年後の「メロディII」の雄姿(笑)を載せておきます。

市高祭の体育祭で、クラスの陣地を飾る大旗と入場行進で使う小旗を、夏休み中に準備することも恒例でした。布が学校から配布され、クラスの机を端っこに寄せて、新聞紙を敷き詰めて、白い帆布を広げて絵の具で描いていきます。この年は、「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」が話題だったので大旗に採用され、僕が提案したチャゲ&飛鳥のロゴマーク(https://www.lancers.jp/profile/hiromitsu-kohno/portfolio_popup/238043)が小旗に採用されました。

そんなこんなで夏休みは(1日8時間の自主学習を強いられつつも)平和に過ぎていきますが、同じ夏休みの後半には、自分の高校生活に影を落とす(笑)事件の伏線が忍び寄るとは、当時は想像だにしていませんでした。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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