高2の2学期(後半)1
市高祭が終わると、例によって、また勉強中心の生活に戻っていく・・・と先生方は期待しているのでしょうが、そこは多情多感な高校生、そうは問屋が卸してくれないと(今でも)思います(笑)。

市高祭が終わって2週間、9月29日に17歳になった僕は、相変わらずフラフラとしていたように思います。誕生日の頃は、いつもちょっと元気になるのですが・・・。
昼休みと放課後に図書館に通う生活は続いていました。フォークサークル同好会の活動も続いていました。時系列的にはこの頃に文芸部に入部し、その関係から校誌「葦芽(あしかび)」編集部にも出入りするようになったと思います。
その校誌「葦芽(あしかび)」の「Club・倶楽部・クラブ」という記事から関係していたクラブ活動の報告を抜粋します。

佐々木君の書いた「ジャーナル同好会」の記事は想定内ですが、自分が書いた「フォークサークル同好会」の記事の中に驚愕すべき事実が書かれています。何だ、この「全国高校生音楽賞・作曲部門応募」っていうのは??? どの楽曲を応募したのか、結果は選外が当たり前としても、何らか記録が残っていないか、と思い返してみても、全然思い出せません(笑)。
一方の「文芸部」は、以下のような真面目なクラブ(倶楽部の方が似合う)であり、まだ文化祭の頃には外から眺めていた記憶があります。その後、佐々木君を伴って入部し、この記事にある「砂州」という文芸誌の編纂に参加したのです。

当時、我々が唯一の男性陣だったので、しばらくの間は違和感が漂っていましたが、そのうちに打ち解けて何でも話せるような仲間になっていきました。
その中には、その後、僕にたくさんの楽曲を作らせることになるYさんもいらっしゃったのですが、その話はまたいずれゆっくりと。
今日も読んで下さって、ありがとうございました。